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金平糖(こんぺいとう)

    「金平糖」「金餅糖」「糖花」などと表記される。 名前の由来としては、ポルトガル語の「コンフェルト(砂糖菓子)」から来ているとされる。 日本に初めて伝来をした時期については諸説があるが、1550年の平戸の松浦信隆に献上した際の記述がある。 この時期のポルトガルの大きな目的の一つであるキリスト教の布教と関連して語られる事もしばしばで、 1569年にルイス=フロイスが織田信長に二条城で2回目の謁見をした際に「金平糖」を献上した事が記述に見える(「耶蘇会士日本通信」)。 また献上を受けた織田信長も、大いに気に入ったと見えて、度々フロイスにも無心をしたとされる。 フロイスは、この事から、金平糖がキリスト教布教に大きな効果があると考え、 イエズス会東インド管区の巡察使のアレッサンドロ・ヴァリニャーノに、その旨を報告している。 その後も、度々献上品として登場し(1615年に松浦鎮信にカステラと共に献上されたとの記述がある)、高級な贈答品としての立場を示している。 この様に献上品・贈答品として珍重された金平糖であるが、その実際の製造方法はポルトガル人からは伝わらず、鎖国後に唐人から伝わる事になった。 日本における製造方法としては、元禄期の井原西鶴の「日本永代蔵」に”芥子の実”を使っての製法が書かれている。自前の製造が可能になった事もあり、 江戸期より茶菓子としての地位を確立し、今に至っているとされる。 金平糖の“角”の数には諸説があるとされる(「36」とも「24」とも「18」とも)が、ポルトガルには角が無い「コインブラ」と言う砂糖菓子もあり、 京都の五色豆はそちらに類似しているとの指摘もある。